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HANABI!! HANABI!!


ルートヴィヒ二世の逃亡
1866年5月オーストリアのイシュル ( Bad Ischl ) に滞在していたエリザベトは母のルートヴィカに手紙を宛てる。 「 戦争の危機が迫っている 」 だが、ルートヴィヒ二世はスタンベルク湖に浮かぶ薔薇島に逃げ出してしまう。戦場では砲声が轟いているのに政府の追及を避けて盛んに花火を上げさせていた。

ドイツの国民議会
1848年5月18日、ドイツ国民議会の代表者はフランクフルトのパウルス教会に集まった。会議を開く合図として花火が上げられた。ハインリヒ・フォン・カーゲルンが初代の議長に選ばれ、オーストリアのヨハン大公が執政に選任されました。

ヘンデルの花火
1749年4月27日にロンドン、グリーンパークで行われた戦勝記念のために「王宮と花火の音楽」がヘンデルの手によって書かれた。1748年、オーストリアの王位をめぐって、マリア・テレジア王女とバイエルン、フランス、ザクセン、ブロイセンなどが対立して争っていたオーストリアの継承問題。アーヘンで平和条約の調印が行われ、イギリスの国王ジョージ2世は祝賀会を催した。

セルヴァンドーニ
1700年代中期に活躍したイタリア、フィレンツェ生まれのフランス宮廷舞台装飾家で、1749年4月27日にロンドンのグリーンパークで行われた祝賀会で花火を打ち上げるイベントで仕掛け花火を仕掛ける模型を作った。肩書きの中には花火師ともある。


ロンドン・グリーンパークの花火
1749年4月27日にジョージ2世の催した祝賀会の花火でロケット花火が1650発、総額14500ポンドに及ぶ大スペクタクルを行なった。二人のポローニャからの花火師が大きな城の模型に花火を仕掛けた。半年間も費やした準備は点火されると同時に瞬く間に模型に火が回り、大火災になり失敗に終わった。

イングランドの花火師
1572年8月、エリザベス女王(一世)のための花火大会が開かれた。花火を気にいった女王はその後、何回も花火の催しを開催、16世紀末には花火師の役職をつくった。

チャールズ五世
1532年、国王チャールズ五世は王室軍隊の花火師を徴用するための規則を制定した。