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HANABI!! HANABI!!


国旗の打ち上げ
2014年9月13日(土)にアメリカの国歌が作られて200年という記念に軍がメリーランド州のボルティモアで式典を開きました。国旗を模した打ち上げ花火で、Grucci社がマジックファイヤーを使い2.5号前後の小玉を使いアメリカの星条旗を表現しました。これだけの数を一斉に打ち上げ高さを揃えることは並大抵の技術ではありません。また、今回の技術はファイアーワンが開発しましたが、ビジネスモデルにならなかったことからGrucci社に使用権を含めて譲ったと言われていますが・・・

楯観音
新潟県小千谷市片貝町(旧・越後国三島郡片貝村)大屋敷にあった楯(館)観音で江戸時代、片貝式部丞房忠が平時の居館としていたとされるところで、縁日では花火が行われてきた。延宝元年丑年9月16日に野火のため消失。享和2年(1802)7月16日、太刀川家代々の懸案であった消失した堂を建設、8月5日まで御開帳をおこなった。22日には若者によって盛大な花火が催され、小千谷・長岡・柏崎・出雲崎方面からも芸人が来て、浄瑠璃や音曲などが行われた。

慶応3年の花火番付
慶応3年6月28日から3日間に渡り、越後国三島郡片貝村(現・新潟県小千谷市片貝町)の楯観音の境内で打ち上げられた番付である。
六月廿六日昼花火之部
雲    冠     竜   七寸  千  原  富 之 允
雷          雨   五寸  吉    原     姓
群    千     鳥   四寸  相          銭
千    疋     鯛   五寸       さ
露    之     玉    同   来 迎 寺  星  月
黒    雲     雷   七寸  一         新
黄    烟     栁    同   浅 田  又 右衛門
      蝦          五寸  髪 結  新 兵 衛
雨           傘   四寸  金  子   留  蔵
黄     金    滝   五寸  相 崎   甚 兵 衛
文     字    火    同   大角  真貝奥留
玉雷前后紅雨  四寸  下     条     連
大     雷     星   七寸  本 田  又 太 郎


文字打ち
2005年頃にマルタ共和国で開発された演出方法で、地上から数十メートル以内で文字の形を表現する。これは型物花火とは全く異なるものである。日本では唯一静岡のイケブンが、2014年の熱海で成功させており、同じく2014年の12月には二段階の文字打ちを世界で初めて成功させている。

片貝まつり
新潟県小千谷市片貝町(旧・越後国三島郡片貝村)にある浅原神社の祭礼で、現在打ち上げられている中では世界最大の直径約120cmの四尺玉が上がることで有名である。ここは全てが町民の奉納花火で入学祝・厄年・還暦・供養など人生の節目節目で花火を奉納する人口わずか4000人ほどの街である。片貝まつりは通称で正式名称は「浅原神社秋季大祭奉納煙火」で、まさに花火を奉献する祭りである。明治11年には二尺玉、明治24年には三尺玉、それから94年後の昭和60年には四尺玉が打ち上げられている。片貝の人々は江戸時代後期より花火に熱中するようになり、各自手製の花火を上げるようになり大きさを競ってきた。


片貝町煙火協会   
片貝まつりを運営する団体で片貝ふるさと会館内にある。発足の動機は1月15日の歳の神の行事で注連飾りを焼くのだが、これを地元の小学生が各家々を回って集めるのが古くからの仕事だったのだが、時代とともに駄賃としてお金をくれるようになり、その行為が子供たちにとって好ましくない習慣で学校側から問題提起があった。これにより、町内ごとに歳の神の実行委員会を作り、その組織がそのまま祭礼の花火打ち上げの組織に変換され今日に至る。

浅原神社
片貝花火が奉納される片貝村の総鎮守が浅原神社であり、毎年9月9日、10日に祭礼がおこなわれる。もとは吉原氏の内鎮守で、一王子権現(熊野信仰)と呼ばれていた。寛政2年(1790)に本殿の修復が行われたことから、それ以前にあったとされる。浅原神社に改まったのは天保15年(1844)で、この時に総鎮守になり、安政5年(1858)には社殿の改築が行われ、遷営式があった10月7日の夜には大花火奉献興行があった。